ピンをクリックすると文化財名が表示され、さらに文化財名をクリックすると文化財の詳細情報が表示される画面にかわります。
交通の要衝、武雄
武雄は山と川に恵まれた自然豊かな街であるとともに、JR佐世保線や長崎自動車道のインターチェンジなど、発達した交通網がなす佐賀県西部の主要都市です。武雄市は、交通の要衝として古くから栄えてきました。江戸時代には、長崎街道を通じて西洋の進んだ学問・科学技術がもたらされ、日本の近代化に大きな影響を与えました。武士が足を休めるための宿場として栄えた武雄の温泉には、大正時代に「武雄温泉新館及び楼門」が建てられ、今も武雄のシンボルとして親しまれています。シーボルトや数々の偉人も通った道を、温泉に浸りながらゆっくり歩いてみませんか。
文化財一覧
旧武雄邑主鍋島氏別邸庭園(御船山楽園)
庭園
この庭園は、武雄の殿様であった「鍋島茂義」の別荘として造園されました。1845年、徳 川将軍家が日本を統治していた江戸時代に、約3年の年月をかけて完成しました。日本の 伝統的な庭園に基づいた造形をしています。池の周りを歩くことで、断崖絶壁の「御船山 」と四季折々の花が融合した絶景を堪能出来ます。池の畔にある藁で出来た屋・・・
川古のクス
自然
徳川将軍家が日本を統治していた江戸時代、武雄エリア一帯は武士が寝泊まりをする宿場町でした。その中心にそびえるこのクスは、全国で5番目に大きな木です。推定樹齢3000年といわれています。 このクスの木の幹には仏像が彫り込まれていました。仏像は、奈良時代に奈良の大仏造営のため、全国を巡った行基が彫ったという伝説があります。・・・
武雄温泉新館及び楼門
宿泊施設
温泉の入り口に立つ朱塗りの門は、武雄温泉のシンボルです。日本各地で急速に西洋化が進んでいた1915年、西洋建築の駆者「辰野金吾」によって設計されました。武雄温泉は、この地の殿様である「鍋島家」を始め、シーボルトなど数々の偉人も訪れる地でした。そこで、彼らをもてなすため、温泉だけではなく遊技場やホテル等が一体となった巨大・・・
武雄鍋島家洋学関係資料
資料
本資料群は、武雄エリアが長崎を通じて西洋の先進的な科学技術を取り入れ、佐賀藩ひいては日本の近代化に大きな影響を与えたことを示す貴重な資料です。文書や書籍、地図、器物など2,224点から構成されています。 江戸時代後期、西洋との唯一の窓口であった長崎の警備を担当していた佐賀藩は、相次ぐオランダ以外の欧米諸国からの船舶の到・・・